新紙幣と今までの紙幣の歴史
みなさん こんにちは。
今回は「新紙幣と今までの紙幣の歴史」についてお話したいと思います。
まず新紙幣についてお話します。
・1万円札 → 渋沢 栄一
「資本主義の父」と呼ばれている人です。第一国立銀行や東京証券取引所、一橋大学など、企業、学校の設立・経営に関わった優秀な経営者です。また、経済活動だけでなく、平和にも尽力しノーベル平和賞の候補に2回選ばれています。
・5千円札 → 津田 梅子
現在の津田塾大学である女子英学塾を開きました。
女子教育向上に力を注ぎ、日本における女子教育の先駆者と評価されている人物です。
・千円札 → 北里柴三郎
「日本の細菌学の父」として知られています。
ペスト菌の発見や破傷風の治療法を開発するなど感染症医学の発展に貢献され、
世界の医師・研究者からもその業績が高く評価される医学者です。
2千円札に関しては刷新は見送りということになっています。
理由としては、「2千円札の流通が少ない為、日本銀行に備蓄として貯まっている状態」だからと言われています。
新しいデザインで印刷してしまうと、今まで備蓄された分のお金がもったいないということになります。
ここからは「紙幣の歴史」について話していきたいと思います。
「日本最古」の貨幣とは?
日本最古の貨幣は「和同開珎」(わどうかいちん)とされてきましたが、1999年、奈良の飛鳥遺跡でそれ以前の貨幣の可能性の高い7世紀後半のものとされる「富本銭」が出土しました。(中国の開元通宝をもとに683年作られたとされる)
しかし「お金」として流通していたかは不明な点が多く、708年作られた「和同開珎」が日本で最初に「流通」した貨幣という説も有力です。
以後奈良時代、平安時代の約250年の間に、金貨1種類、銀貨1種類、そして皇朝12銭とよばれる銅貨12種類が作られました。
「鎌倉・室町時代」
平安時代後期から、室町時代では、自分たちで貨幣は鋳造せず、日本から輸出した砂金等で銅銭である「宋銭」に引き換えて使っていました。
室町時代には明国から「明銭」を輸入し全国で流通していたようです。特に「永楽通宝」は多く流通し、織田信長がそのデザインを織田家の旗印としていたことでも有名です。一説には信長が貨幣経済に早くから着目していたからだとも言われています。
貨幣制度を統一化した徳川家康
関ヶ原の戦いで勝利を収め天下を統一した徳川家康が貨幣制度の統一に着手。慶長6年(1601年)、慶長金貨・銀貨を発行しました。さらに寛永6年(1636年)徳川家光が寛永通宝という銭貨(※)を作りました。そして寛文10年(1670年)輸入銭が禁止され、金貨、銀貨、銭貨という3つの貨幣を江戸幕府が独自で支配する仕組みができました。これを三貨(さんか)制度といいます。それぞれの交換レートも統一されました。
しかし、幕府は財政難を切り抜けようと金銀の質を落として貨幣の数を増やしました。(元禄の改鋳)その結果諸物価が上がり庶民を苦しめる結果となりましたが、幕末までこの改鋳は繰り返し行われました。
※ 銭貨(せんか)・金貨銀貨のような貴金属の硬貨でなく非貴金属の硬貨を指すことが多く、おもに銅貨であるが、銅不足で他の合金のものもある。
「紙幣」が日本に誕生
1600年ごろ、伊勢山田地方の商人の「信用」に基づいた山田羽書(やまだはがき)が発行されました。これが日本最初のお札とされています。
しかし本格的なお札は、寛文元年(1661年)越前福井藩が発行した「藩札」。
これを皮きりに各藩主が有力商人の協力を得て、領土内だけで使える独自の地域通貨とも言える「藩札」を次々に発行しました。幕府が発行する金貨、銀貨等に対応した「金札」「銀札」です。
このように江戸中期からは幕府の三貨制度と各藩の「紙幣」が並存していました。
「両 → 円」に変わり、現在に至る
明治4年(1871年)新政府は貨幣制度を統一するために「新貨条例」を制定します。
単位を「両」から「円」に改め10進法を採用、現在に至る「円の誕生」です。金本位制の元で金1、5グラム=1円での円の誕生です。そして金貨、銀貨、銅貨が発行されました。
ドイツに印刷原版の製造を依頼した新紙幣「明治通宝」は明治5年(1872年)に発行されました。
この「明治通宝」にも偽造が多発。
明治14年(1881年)にデザインも一新しました。
神功皇后の肖像が描かれた日本初の肖像画入りの政府紙幣です。神功皇后札とよばれました。この肖像の作家はいわゆる御雇外国人であるイタリア人のエドアルド・キヨッソーネです。なんとなく欧米人風の顔立ちになっていますね。
一方で近代的な銀行制度を作るためアメリカのナショナルバンクをモデルに明治5年(1872年)「国立銀行条例」を制定。全国に153の国立銀行が作られました。そしてこの国立銀行にも紙幣の発行権が与えられました。
こうして現在の紙幣に至るまでに数々の肖像画が使用されてきました。
中でも「聖徳太子」は過去7種類の紙幣に肖像画として使用されてきました。
日本で初めての肖像画紙幣が誕生したのは明治14年(1881年)神功皇后札でした。以後140年近く、肖像画紙幣は激動の時代とともにありました。
肖像画を使うのは、顔の表情が複雑で偽札が作りにくいからという説があります。そして誰が登場するかという事はそれぞれの時代を反映した人選になっています。
令和という新しい時代、令和2年(2020年)には東京オリンピック・パラリンピックが、令和7年(2025年)には大阪で日本万国博覧会が開かれ、華やかなスタートを切ることでしょう。
一方で、令和6年(2024年)には日本の人口の半分以上が50歳を超えると言われるなど、国力・経済力の低下も予測され始めています。経済活動にも様々な知恵を絞らなければなりません。
そしてまさにこの年、新紙幣が発行されます。渋沢栄一のパイオニア精神、津田梅子の国際性、北里柴三郎の先見性、科学を見つめる眼差しに力を得て素敵な時代にしていきたいですね。